新型コロナでCP+2020開催中止。だからカメラ業界はダメなんだ!

新型コロナを理由に、CP+2020の開催中止が発表された。

なんという気概の無さ。知性の欠如。実に情けない。

カメラ業界が厳しい状況にあり、かつ日本全体が暗い雰囲気の中、「こんな時だからこそ、業界を盛り上げるために開催しましょう」と声を上げる者はいなかったのだろうか?

カメラとは、卒業・入学、運動会、結婚式、旅行など行事や人生の節目でもっとも購入機会が増えるものだ。だから春と秋に一番売れるのだ。

カメラという「イベントを記録するための機械」を作っていながら、その業界団体が自ら率先してイベントを自粛する風潮を作り出すというのは完全に自殺行為である。

むしろCIPAこそCP+を積極的に開催し、十分な感染防止対策さえ行えば大規模イベントを開催しても問題ないという模範とならなければならなかった。

カメラ業界はこれから自らが先頭を走ったイベント自粛ブームによって必ず大打撃を受ける。

それでも「経済より命の方が大切だから感染拡大を防ぐために自粛するべき」なのだろうか?

いいや、それは間違っている。

経済活動は生活と直結しているのだから、「生活が成り立たない状態で生きていく」ということなどできはしない。

つまり新型コロナの感染防止のために自粛しまくるというのは、「病気で死にたくないから生活苦で死ぬことにします」と言っているも同然なのだ。

だから感染抑止と経済活動は両立させなければならない。

そもそもすでに新型コロナは市中感染が起きており、水際作戦は失敗し、感染経路を辿っての封じ込めは不可能なのだ。これから社会のあらゆる場面で新型コロナの感染は起きるだろう。

イベントの自粛ごときで新型コロナの封じ込めが可能な段階はとうに過ぎていている。

CIPAは「CP+は人が密集しカメラは手に触れるものだから」というが、物に手に触れたり混雑する場面など日常のあらゆる場面にある。

またイベントを中止する一方で、彼らは相変わらず満員電車に揺られて通勤している。

「イベントは会話があるが通勤電車は会話がない、だから電車は飛沫感染が起きにくい」という御都合主義の意見もあるが、感染には接触による感染もあるわけで、除菌や手袋を着用しての試用が可能なイベント展示のカメラと、否応無く掴まらざるをえない電車のつり革や手すり、どちらがウイルスに接触感染する可能性が高いのか?どちらが過密環境と言えるのか?

本音を言えば「満員電車の方が危険なのは分かっているが、それをいうと交通インフラが壊滅してしまって通勤できなくなるから言えない」というだけだろう。

そもそも飛沫感染に問題があるなら、CP+では定期的に展示機や展示台を除菌し、今回に限って解説員による解説はなしということにすればいいではないか。

それに行ったことがある人は知っていると思うが、CP+の会場となるパシフィコ横浜は天井が非常に高く、人もそれほど過密でもない。

都内の駅構内と比較すれば会場の換気はむしろ良い方である。

それでもCIPAが「お客さんやスタッフの安全面を考えて中止する」というなら、通勤を一切無くして、カメラ業界各社は全ての従業員をテレワークのみにすべきであり、同時に商品も店頭販売をやめてネット通販のみにし、ショールームも全て閉鎖しなければならない。

従業員には電車通勤をさせ、家電量販店やショールームでカメラや家電を展示していながら、カメラに新型コロナウイルスの付着がどうこうといっている彼らの主張は最初から矛盾している。

また時折「仕事は仕方ない。イベントは遊びだから同列ではない」ということを言う人がいるが、そんな頭の悪い人の意見など聞く価値は全くない。

イベントと仕事。そんなものは同列・同等に決まっている。

イベントや興行とは企業活動の一環であり、まさに「仕事そのもの」なのだから。

逆に同列でないのなら「CP+は毎年おふざけで開催している」ということになり、その方が業界の恥であるし、またそんなものに多額の協賛金や出展料を払うわけがないだろう。

CP+はカメラ業界にとって「不要不急の外出」などではない。

不要不急なものをなぜお金をかけて開催するのか?
不要不急なものになぜお金を出して協賛するのか?
不要不急なものになぜお金を出して出展するのか?

必要不可欠だと思うから開催するのだろう?

そもそも感染症が怖いからやらないというのであれば、CP+を毎年インフルエンザが流行している時期に開催していることも矛盾だ。

インフルエンザで毎年何人の人が死んでいるかご存知だろうか?

2018年も2019年も3,000人以上の方がインフルエンザが原因で亡くなっている。CP+が開催される2月だけで見ても、2018年2月が1,260人、2019年2月が1,107人もの方がインフルエンザで亡くなっている。

インフルエンザは日本国内だけで毎年、

  • 約1,000万人が感染
  • 約3,000人が死亡

対して新型コロナで日本で何人が感染して何人が亡くなっただろう?

「インフルエンザより人が死んでいないから新型コロナを軽視しろ」と言っているのではないが、CIPAの言い分に合わせるなら「インフルエンザに感染して死ぬかもしれないからCP+は毎年中止にすべき」ということになる。

インフルエンザも変異しながら毎年大量に人が死んでいるのに、インフルエンザを社会は許容しながら生活している。

対して新型コロナを社会が許容できていないというのは要するに、新型コロナは「新しい病気だから」とか「薬やワクチンがまだ出来ていないから」という点にある。

つまり「新型コロナへの恐れ」とは、新型コロナの致死率や死亡者数という具体的な数字に対して恐れているわけではなく「新しい病気」であるということに原因があるのだ。

だから新型コロナとインフルエンザの、実際の死者数の比較という事実を無視して恐れまくっているのである。

そんな自分で作った幻の恐れに何の意味があるのだろうか?

CP+に行くも行かないもお客さんが決めればいい。
出たくないスタッフには無理強いしなければいい。

その上で「新型コロナより新型カメラだ!」と言える人こそ本物のカメラマニアだろう。

そう思えないなら(べつに思わない人生でも構わないが)、その人にとっては「カメラなんて人生において大して重要ではない」ということだろう。

だからCP+中止を支持しているのは「カメラと関係のない人」、もしくは「カメラとはそもそも何のための道具なのか?」というカメラの存在理由の基本さえ理解していない「自称カメラマニア」ということになる。

本物のカメラマニアや写真愛好家であれば、カメラ業界こそイベントの自粛で被害を受ける最たる業界の一つであると知っているはずだ。

あらゆるイベントの自粛がカメラ業界にとってダメージとなるのだから。

とは言え最も罪深いのはもちろんCIPAである。

CIPAのCP+中止に対する説明は、「会場で新型コロナに感染する人が出て責任問題になったら面倒だから中止します」と言っているも同然だ。

CIPAは「お客様のため」と言い訳をしながら、実際には自らの保身と責任逃れのために遁走した単なる腰抜けに過ぎない。

もう一度言おう、彼らは決してお客さんやスタッフのためなどではなく、保身のためだけに逃げたのだ。カメラを捨ててだ。

あなた達は、カメラ映像機器工業会ではないのか?
あなた達は、カメラや写真に人生を賭けたのではなかったのか?

こんなにも信念と覚悟と知性のない人間たちが中心にいたのでは、カメラ業界が衰退するのは当然だ。

間違いなく今年もカメラ業界は衰退し売り上げを落とす。

そしてCIPAはのちに2020年のカメラ業界不振の大きな要因として新型コロナウイルスの影響をあげるだろう。今から眼に浮かぶ。

しかしそれは違う。

その売り上げ不振の原因となったイベント自粛の先頭を走ったのが自分たちのくせに、そんなふざけた言い訳など許さない。

カメラ業界低迷の原因は新型コロナウイルスではなく、カメラ業界の知性の欠如にある。

新型コロナに限らず、病気は正しく恐れる姿勢が大切だという。

今、日本に起きている新型コロナ騒動は「正しくない恐れ」だ。恐怖心によって自ら肥大化させたイメージで混乱に陥っている。

現状我々が現実にできることは、うがいや手洗いを心がけながら薬が開発されるまで待ち、それまでは発熱や咳が出るようなら、会社や学校を休んで病院に行くという、いつもと同じ生活をすることだけである。

また、必要な人が必要な分だけ病院に行けば、今の日本で完全な医療崩壊などそうそう起きはしない。医療崩壊が起きるなら、それはウイルスが起こしているのではなく人が起こしているのだ。

もう新型コロナを封じ込めることは不可能であるということを前提にして、

  1. 急速に感染を拡大させ早期に集団免疫をもつこと
  2. 緩やかに感染を広げて時間をかけて集団免疫をもつこと

どちらが社会にとってトータルとしてより有益なのかを感染症や経済や様々な立場の専門家を集めて話し合えばいいだろう。

  1. は短期的な医療機関への負荷は大きくなるが経済損失は小さくなる。
  2. は経済損失は大きくなるが医療機関への短期的な負荷は小さくなる。

これはどちらが正しいというものではないし、その中間を目指してもいい。結局どちらを選んでも死人は出るのだから。

しかし自粛行動ばかり続けていれば、業績悪化で廃業を余儀なくされる経営者や個人事業主も出てくる。

もちろんその結果リストラされる社員もいるだろうし、真っ先に切り捨てられるのは非正規雇用者だろう。

そして新型肺炎だけでなく、経済的な理由から死ぬ人さえも出ることになる。

これは人命とお金を天秤にかけているわけではない。

感染を完全に封じ込めることができなくなった時点で、どういうバランスで感染速度をコントロールすることを目指すのが、長期的に見てより社会の被害を少なくできるか?という問題だ。

しかし経済的理由から自死を選ぶ人たちは、ニュースにも取り上げられないだろう。

ニュースは「今日新型コロナで一人亡くなりました」とは言っても、

  • 今日経営破綻したイベント運営会社の社長が自殺しました
  • 今日業績悪化でリストラされた旅行会社の社員が自殺しました
  • 今日販売不振で契約解除されたカメラ販売の派遣労働者が自殺しました

などと一々報道しないということだ。しかしその人たちも新型コロナの犠牲者であることに変わりはない。

だから結局はどこかで感染拡大の抑止と経済活動のバランスを取らなければならない。

そんなに心配しなくても、時間とともに新型コロナウイルスに抗体を持つ人はどんどん増えていくのだから、完全に罹患者がいなくなることはなくとも、全体としては感染は必ず自然収束していく。

人類の歴史がそれを証明している。勿論遠からず薬も開発されるだろう。万が一自然収束しなかったとしても、それはそれで普段通りの生活に戻るしかない。

いつまでも社会活動を自粛していては、我々はウイルスではなく経済的・文明的理由から破滅していくからだ。

それとも無人島に逃げて自給自足でもするつもりだろうか?
あるいは山奥で仙人のように生活するつもりだろうか?

その方が余程死ぬ確率は高いだろう。

我々にそんな原始的な生活に戻る力も、77億もの人間がばらけて生活するような場所も残されてはいない。

だから新型コロナがどうであれ結局我々は日常に戻っていかねばならない。ならそれは一日でも早い方が良い。

そして日常を取り戻す最短の道は、日常のごとく振る舞うことだ。

今の騒動の数々はウイルスが原因なのではなく、「(一部の政治家や感染症の専門家さえ含む)パニックを起こした人々」に原因がある。

来年2021年の2月には「あの時の過剰な自粛ムードはなんだったんだろう?」となっているはずだ。

勿論、東京2020のオリンピックも開催されるだろう。延期はありえるが、中止は絶対にない。

民間のイベントが自粛中止にするべきであるなら、まずはオリンピックの方を先に自粛中止にするべきだろう。

なぜ生活をかけてやっている民間のイベントが自粛中止に追い込まれ、オリンピックはなにがなんでも開催しようとするのか?その方がおかしいではないか。

アスリートファースト?ふざけるなと。なぜアスリートだけが尊重されて、他の業界関係者や他のイベントのファンの気持ちは踏み躙っていいことになるのか?その方が筋が通らない。

自粛中止にするなら全てのイベントを。それが出来ないならあらゆるイベントは公平に尊重され開催されるべきである。

感染症の専門家は実効性があろうがなかろうが、わずかでも自分たちに有利なことを言っておいた方が得なのだから、そうした専門家ばかりを集めれば、当然「自粛!自粛!とにかく自粛せよ!」という方向性の意見になるに決まっているのだ。

感染症の専門家とは、言い換えれば「経済的な理由から死人がどれだけ出ようが知ったことじゃない」という立場の人たちである。

それこそ真の意味での身勝手な人間だろう。

ただし自己保身しか頭にないという点においてはCIPAも同類である。

基本的に「自分たちの責任になりさえしなければ他はどうでも良い」という人たちの集まりなのである。

しかしその身勝手さはやがて自らに跳ね返ってくる。カメラ業界で言えば行事で使われるはずだったカメラが壊滅的に売れなくなるという形でだ。

そうなってからではもう遅い。

「社会の空気」のようなものに屈し自粛行動をとった企業や団体もいずれはその無意味さに気付き、あるいは「同調圧力にある程度付き合ってあげたから、もう義理は果たした」と判断してイベントや興行を再開していく。

立ち止まればすぐに経営が破綻するような中小零細企業、個人事業主などであれば自粛する余裕すらないだろう。

いずれは全ての人々が日常に戻っていかざるをえない。

しかしそれまでは冷静さを失った人々が次々と間違った判断をし、社会を混乱させ、経済を破壊し、病気に対する偏見や差別さえ生み出していくかも知れない。

今我々は、目に見えないものであるがゆえにウイルスという存在を想像によって肥大化させ、まるで自分以外の誰も彼もが自分の生命を脅かす敵であるかのように錯覚し、中世のペスト騒動の時と同じ過ちを21世紀で起こそうとしている。

それこそ人類の恥である。

だからこそカメラ業界は、

「2020年2月、あの時世界中が新型コロナに怯え混乱していたが、我々の業界は勇気と理性を失わなかった。同調圧力に膝を屈せず自分たちの仕事をやり遂げた」

という栄光の歴史を刻むべきなのだ。