アンセル・アダムス(1902年2月20日 – 1984年4月22日)は大判カメラを使用したモノクロ写真で世界的に有名なアメリカの風景写真家で、グループ f/64のメンバーとして、また露出と現像処理の考え方の一つである「ゾーンシステム」の発案者の一人としても知られています。
というわけで、今回はアンセル・アダムスの傑作写真「ヘルナンデスの月の出」をご紹介します。
■アンセル・アダムスってどんな人?
アンセル・アダムスは1902年、カリフォルニア州のサンフランシスコで生まれました。4歳の時、地震で被災し鼻の骨を折り、以後鼻が曲がったままになりました。
若い頃はピアニストになるのが夢でしたが、その後写真に興味を持ち、ヨセミテで後に妻となるバージニア・ベストと出会いました。アンセル・アダムスは熱心な登山家としてシエラネバタ山脈などの登山をおこない、数々の撮影を行いました。
アンセル・アダムスは1984年4月22日に心疾患で死去したが、アンセル・アダムスの業績を記念し、1984年にインヨー国立森林公園内のミナレッツ原野はアンセル・アダムス原野に、また1985年にはシエラネバダ山脈にある標高3,584メートルの峰が「アンセル・アダムス山」と名付けられました。
■名作写真「ヘルナンデスの月の出」はこうして生まれた
1941年のこと、アンセル・アダムスは息子のマイケルと親友のカメラマン、セドリック・ライトをともなってニューメキシコ州ヘルナンデスを旅行中していました。その時雪に覆われた山々の上に月が昇っていくシーンを撮影したのがこの作品です。
「ヘルナンデスの月の出(Moonrise, Hernandez)」と名付けられたこの作品は、アンセル・アダムスの名声を大いに高めました。
アンセル・アダムスは旅行中この光景を見た時慌てて撮影を始めたものの、露出計を見つけることが出来ず記憶していた月の露出を頼りに撮影(絞りF32:シャッタースピード1.0秒)を行ったそうです。
ヘルナンデスの月の出は、ヘルナンデスの教会と墓地を撮影したもので、十字架が輝いているわずかな時間を捉えています。
アンセル・アダムスは一枚を撮影した後すかさずフイルムホルダーをひっくり返してもう一枚を撮影しようとしましたが、数秒遅れで月の光は十字架から外れてしまい2枚目の撮影は出来なかったそうです。
2006年10月17日「ヘルナンデスの月の出」のプリントはサザビーズで$609,600で競売されました。
ニューメキシコ、ヘルナンデスの空に昇る月が、小さな街の十字架をしずしずと輝かせます。アンセル・アダムス「ヘルナンデスの月の出」。静寂の一枚。
画像:Wikipedia
Reported by 正隆