Shuffleにニコンの有名カメラ開発者である後藤哲朗氏のインタビューが掲載されています。ニコンでF3、F4、F5、D3など様々な名機を開発し世界に送り込んできた後藤氏のインタビューということで、カメラ開発にご興味のある方におすすめの内容となっています。
そこで今回はこの後藤哲朗氏のインタビューをご紹介します。
■後藤哲朗氏インタビュー
後藤哲朗氏がニコンに入社したきっかけ
- 中学は写真部で父親のカメラを借りて撮影していた
- 初めて買ったカメラはキヤノンのハーフサイズカメラDemi EE17で、今でも会社にこのカメラを置いている
- 電機メーカーの入社試験に落ちた時に学生課で紹介された日本光学(現在のニコン)の募集があったのが入社したきっかけ
入社して初めて買ったF2
- 1973年にニコンに入社し最初はサーマルカメラ(赤外線カメラ)の開発部署に配属された
- これは医療用とか工業用のもので、その後カメラ設計部に異動になる
- 入社して初めてF2を20回の月賦で購入
- カメラ設計部に配置された際には、社員も買えないような高価なカメラを扱えることが嬉しかった
思い入れのあるフィルムカメラ
- 初めて設計に携わったのは1980年に発売されたF3
- F3からF4、F6まで並行してD1からD3まで設計に携わった
- 普及機やコンパクトカメラにも携わったので全ては数え切れない
- 特に思い入れが強いのはF3とF5とD3
- F3は若造で何も知らない頃に先輩に怒られながら設計したカメラで、今でも街中で見かけて一番気になるカメラ
- F5は自分が責任者として担当したカメラで、F4の時代にキヤノンのEOS-1が発売されニコンのシェアを持っていかれた
- EOS-1はオートフォーカス、液晶、電子ダイヤル、ボタン操作が非常に使いやすく、それまでの旧態依然とした形から完全に脱却し新しい写真の撮り方を打ち出したカメラだった
- これで世界のトレンドが変わり、残念ながらニコンが乗り遅れシェアを奪われてしまった
- それが悔しくて何とかしたいという一心で開発したのがF5
- EOS-1よりも測距点が多く、約8コマ/秒を実現したことで賞賛されたが、シェアを取り戻すまでには至らず何とか信頼を取り戻したという状況だった
デジタル時代の熾烈な開発競争
- デジタルカメラで思い入れがあるのはD3
- やはり背景にキヤノンの存在があった
- 99年にD1を出したが、キヤノンはD1やD2より高画素かつ高感度耐性が高く優秀なEOS-1Dシリーズを出して来た
- 高画素であるためトリミング耐性が強く、かつノイズが少ないという新たな潮流をまたしてもキヤノンに作られた
- ニコンのカメラは丈夫なので、新たなトレンドを先取りし使い易くすればプロに信頼を得られると考え、それがD3になった
- ニコンを使っていた人が他社に乗り換えたりその逆もあるが、ニコンを使って頂けるようためには機能・性能や信頼性において価値がある機材を打ち出さないといけない
デジタル時代のニコンの価値
- 既に電機メーカーが得意とするデジタル技術の時代になっており、いわゆる飛び道具だけで勝負したら電機メーカーには到底かなわない
- Wi-FiやGPSで新しいことが出来たとしても、カメラはそういう面だけではない、写真機としての立ち位置を失わないようにする
- 丈夫であるという信頼性だとか、実際に使いこなす道具への喜びがある点も重要になってくる。長年培ってきたそんな事がニコンの大事にすべきDNAではないかと思う
- 新入社員に言っているのは、「初心忘るべからず。写真忘るべからず」
- また段々キャリアを積んで、仕事にかまけてくるとカメラをいじらなくなってしまう傾向がある。だから年寄りにも同じ言葉を言っている
インタビューを読んでみると、後藤哲朗氏はキヤノン機を意識しつつ常にチャレンジャーという気持ちで数々の名機を開発してきたことがわかります。
2017年6月末で後藤研究室は閉鎖され、後藤氏によると今後は映像事業部長のサポートを行っていくとのこと。
現在ニコンはD810後継機や新型ミラーレス機の噂が流れており、100周年を迎えたニコンの新たな提案に注目が集まっています。
Reported by 正隆