皆さんこんにちは。
写真業界やカメラ業界では、カメラマンという職業に対する幻想が強すぎるように思います。
これは写真愛好家だけでなくカメラマン自身も勘違いしているケースが多々あり、その結果として、傲慢なカメラマン見かけることが時々あります。
そこで今回はこのプロカメラマンに対する幻想の原因について考えてみたいと思います。
■プロカメラマンが勘違いする理由
カメラマンはそれほど珍しい職業ではない
当然ですが公務員も、開業医も、コンビニ店員も、そしてカメラマンも職業の一つであり、「職業に貴賎なし」というように、そこに価値の差のようなものは存在しません。
しかし往々にしてカメラマンというのは特殊な職業、あるいは珍しい職業のように思われがちです。
プロカメラマンの職業人口は現在6万5千人〜7万人程度と言われており、これは職業人口として多いとは言えないものの、それほど珍しい職業でもなく、弁護士や公認会計士の約2倍、漁師や一級建築士の約1/2、医師や薬剤師の約1/4程度の職業人口となります。
つまりプロカメラマンは「よくいる職業」とまでは言えないものの、極端にレアな職業でもないということです。
なぜ勘違いしてしまう横柄なカメラマンが生まれてしまうのか?
ではなぜカメラマンという職業を、まるで選ばれし者であるかのような勘違いしてしまう人が生まれるのでしょうか?
その主な要因として、
- 写真撮影という趣味人口の高いもので金銭を得ている
- カメラマンをアーティストかのように思っている
- 写真教室やセミナーで先生と呼ばれる立場にある
ということが理由にあるように思います。
1に関しては、好きなことを仕事にしているからと言い換えることもできますが、カメラマンやユーチューバーのような趣味性の高いジャンルで金銭を得ている=偉いということにはなりません。
2はカメラマン=アーティストというのも、確かに一面ではそうかもしれませんが、圧倒的多数のカメラマンは頼まれた被写体を撮影することを中核としているはずで、純粋な意味での芸術家とはまた違うでしょう。また、そもそも芸術家が他の職業と比較して偉いという考えもおかしいと思います。
3の写真教室やセミナーで「先生」と呼ばれることも、カメラマンが勘違いを起こす要因の一つだと思いますが、一般的に何かを教える職業に従事する人を我々は「先生」と呼んでいるだけであり、そこに本当の意味での敬意があるとは限りません。
教員も医師も政治家も「先生」と呼ばれることの多い職業ですが、だからといって必ずしも尊敬されているというわけではないですし、尊敬に値する人物であるかどうかは個人に対するものであって、どのような職業であったとしても一律にその職業に従事する人全てを尊敬するべきとは思いません。
しかしスタンフォード大学監獄実験のようなもので、日常的に「先生」などと呼ばれていると、本気で自分を偉いと勘違いしてしまうカメラマンも中にはいるわけです。
もともとそういう性格なのか、「先生」と呼ばれていくうちに勘違いしてしまったのかは分かりませんが、いずれにせよそれはとても愚かなことです。
カメラマンもサービス業の一つ
大多数のカメラマンの仕事というのは、お客さんの依頼を受けて撮影を行う一種のサービス業ですから、お客さんにはある程度の礼儀をもって接するのは当然のことです。
撮影の場合、緊張感を和らげるために被写体となる人物にフレンドリーな話し方をするという場合もありますが、そこには「より良い撮影結果を得る」という明確な目的意識が必要で、本当にお客さんやモデルさんを下に見ているのであれば、それはカメラマン以前に人としてダメでしょう。
また写真教室やセミナーのような場では、相手はお客さんであり、多数の人に向けて話すのですから、カメラマンは受講者に対して敬語で話す方が好ましいと思います。
しかし、実際にはそうした場で横柄な喋り方をするカメラマンが沢山いて、そのような態度の裏にあるのは、先生と呼ばれることからくる自惚れ、あるいは逆に偉そうにしないと舐められるという自らの知識に対する自信のなさがあるのではないかと思います。
つまり、「尊大なカメラマンほど、実際は大して詳しくない」ということがよくあるわけです。
■カメラマンと写真愛好家が良好な関係を築くために
写真愛好家もカメラマンに過度な期待はやめるべき
カメラマンの中にはこうした勘違いをしている人も多いわけですが、同様に写真愛好家の方もカメラマンという職業に過剰な期待はやめるべきでしょう。
時に写真教室やセミナーではない対価の発生しない状況で、カメラや写真の質問をしまくる写真愛好家の方がいますが、そのような要望に対応する義務はカメラマンにはありません。
聞いてはいけないと言うことではありませんが、執拗に聞くべきではありませんし、もし対応を断られたとしてもそのことに「対応してくれないのはプロ意識が足りない」などというような不平をもつのは完全に間違っています。
また良くみかけるのが、写真愛好家の方が採算を顧みず撮影した渾身の一枚と、カメラマンが日常的に撮影した写真を比較して、「カメラマンの〇〇は上手くない、自分の方が上手い」というようなことを言っている人を見かけることがありますが、そもそも全く無意味なことです。
それは例えて言うなら、マラソンのレース中に沿道から飛び出してきた観客が一瞬だけ選手を抜いて、「マラソン選手に勝った!」と喜んでいるのと同レベルの行為であり、試合に参加したとさえ言えません。
カメラマンは自分たちが写真愛好家よりも偉いなどという愚かな勘違いしてはいけないし、写真愛好家の方々もカメラマンに対して過度な期待や対抗心を持つべきではありません。
カメラマンとお客さんや写真愛好家は対等の関係
カメラマンも営業写真館などで社員として働いている場合も沢山ありますが、フリーランスであることも多いため、一般的なサービス業の従業員の方と比較してカメラマンはお客さんに対して強気の傾向があるように思います。
自分の意思で決めることができるというのは、カメラマンに限らずフリーランスであることの特権ではありますが、それは裁量権が会社ではなく個人にあるという意味に過ぎず、カメラマンがお客さんよりも偉いということを意味しません。
しかし同様にカメラマンは、よくあるような「お客様は神様です」というような洗脳教育も受けていないため、嫌な仕事は平気で断ったりしますが、それはそれで日本のサービス業の間違った奴隷的風習を是正するという意味で良いことなのだろうと思います。
あらゆる職業は商品やサービスを提供する側とお客さんがお互いが納得して行われる等価交換ですから、カメラマンとお客さんは本質的に平等であり、互いに常識的な礼儀をもって接するべきでしょうし、カメラマンと写真愛好家も同様であると思います。
Reported by 正隆