皆さんこんにちは。
昔はレンズを評価するのにカメラ雑誌などでプロカメラマンや写真家が「空気感」とか「立体感」といった抽象的な表現を使って評価したものを、読者が鵜呑みにするしかありませんでした。
それが近年は機械計測を用いた数学的な比較をもってレンズの評価をする傾向にあります。その一例がMTF曲線で、一般のカメラマニアの中にもMTF曲線を見てレンズの評価をする人が増えてきました。
また最近ではMTF曲線が図の上辺に張り付いているようなレンズに対して「MTF直線」といった表現で称賛するといった、もの凄く頭の悪そうな表現も流行っています。
しかしMTF曲線の概念を理解していないまま、表層的なMTF曲線の読み方だけ出来るようになってしまい、本来は比較してはいけない表記の基準が異なるMTF曲線を比較してレンズの評価をしまっている人がかなりいます。
6年前の2015年10月30日に書いた「MTF曲線を読めるようになろう!」という記事の中でも、
“また、MTF図には「波動光学的MTF」と「幾何光学的MTF」という根本的に異なるものがメーカーによってまちまちに表記されているため、MTF曲線は同じメーカーの中でしか比較できません。
これはとても重要な部分なので、良く覚えておいてください。”
と書いていたのですが、
- 幾何光学的MTFと波動光学的MTFという異なる表記があること
- それらがメーカーによって混在していること
いずれも6年経ってもまるで認知されていません。
“MTF曲線”というキーワードでGoogle検索すると、当サイトのその記事は私のブラウザ上では現時点でニコン、シグマのサイトに次いで3番目に表示されます。
つまりまともにMTF曲線の読み方を知りたいと思って検索した人なら一度は見たことがあるという位、長い間Google上位に表示され、実際アクセス解析を見てもかなりアクセスされているにも関わらず、全くカメラファンには伝わっていないのが現実です。
そこで6年越しに再び言っておきますが、異なるメーカーのレンズをMTF曲線で比較してどちらが良い悪いと評価することは無意味ということを今回はもう少し詳しくご紹介しようと思います。
目次
- MTF図は異なるメーカーのレンズを比較することは出来ない
- MTF曲線には「幾何光学的MTF」と「波動光学的MTF」の2種類がある
- どちらの表記かはメーカーによって違う
- 各メーカーの表記
- 幾何光学的MTFと波動光学的MTFでMTF曲線はこんなに違う
- 異なるメーカーのMTF曲線図を横並びで比較する人の話は聞き流そう
- 何を基準にレンズを評価すればいいのか?
- レンズの良し悪しを決めるのは…
というわけで今回はMTF曲線の話なのですが、難しい話はせず、出来るだけ平易でわかり易い表現で、「なぜ異なるメーカーのレンズをMTF曲線で比較してはいけないのか?」という点に絞って改めてMTF曲線について解説させていただこうと思います。
■MTF図は異なるメーカーのレンズを比較することは出来ない
MTF曲線には「幾何光学的MTF」と「波動光学的MTF」の2種類がある
異なるメーカーのレンズをMTF曲線で比較出来ないという理由には大きく2つの点があります。
- MTFの測定は各メーカーで独立して行なっている
- MTFには「幾何光学的MTF」と「波動光学的MTF」の2種類の表記がある
1はそのままの意味で、MTFの測定は各社別々に行なっており、「CIPAで統一して測定している」というような種類のものではありませんから、異なる機器と環境で測定しているものを同列に評価することは出来ません。
しかし問題は2の方で、これは知らない人が多いけれど重要な要素で今回解説する主題となるわけですが、MTFには、
- 幾何光学的MTF
- 波動光学的MTF
という2種類があり、これがメーカーによってどちらで表記しているかが違う(※全社「幾何光学的MTFでしょ」と思っている人もいと思いますが違います)ために、異なるメーカーのレンズのMTF曲線図を比較してもほとんど意味がないのです。
この「幾何光学的MTF」と「波動光学的MTF」というのは、簡単に例えて言うと(※例えです)、「理論値と実測値」のようなもので、
- 幾何光学的MTF→回折現象を考慮しないMTF
- 波動光学的MTF→回折現象を考慮したMTF
このような違いになります。
当サイトに来られるような方であれば、「回折現象」は皆さん既にご存知だと思いますので説明を省きますが、レンズは実は絞り開放の状態でも回折現象が発生しており、この回折現象を考慮するかどうかでかなりMTF曲線図は変わってしまいます。
勿論、回折現象を無視した「幾何光学的MTF」の方が高い数値を表すためMTF曲線図では高性能なレンズのように見えます。
どの程度の差が出るかはレンズによって異なるのですが、基本的にはF値が大きいレンズほどその差は大きく現れる傾向にあります。
そのため、例えば50mm/F1.8と400mm/F2.8のレンズがあったとして、一般的には400mmの超望遠でありながらF2.8である400mm/F2.8の方が「明るいレンズ」と評されることが多いものの、F値自体は400mm/F2.8の方が大きいため幾何光学的MTFと波動光学的MTFの差が出やすくなります。
どちらの表記かはメーカーによって違う
そしてレンズの仕様のページなどに掲載するMTF曲線図には、
- 理論値に近い「幾何光学的MTF」を掲載しているメーカー
- 実写性能に近い「波動光学的MTF」を掲載しているメーカー
これらが混在しているわけですが、一見性能が良さそうに見える「幾何光学的MTF」で表記しているメーカーだとソニーなどがそうです。
対してMTF曲線は低く出てしまうけれども実写性能に近い「波動光学的MTF」を表記しているメーカーはキヤノンなどです。
MTF曲線の表記に関してはキヤノンは誠実だと思いますが、違う部分では「性能を良く見せるテクニックを駆使する第一人者がキヤノン」と言っても過言ではないくらいのメーカーなので、なにもかも「キヤノンのスペック表記は誠実」なんて言うつもりは全くありません。
キヤノンとニコンであれば、基本ニコンの方がスペック表記に関しては信用できます(信用というかニコンはなぜか控えめに書いている場合が多い気がします)。
珍しいのはシグマで、シグマは従来は実写性能に近い「波動光学的MTF」のみをサイトに記載していましたが、2014年からは両方のMTF曲線図を載せています。その時のプレスリリースはこちらです。
おそらくシグマ的には、
「実写性能に近い波動光学的MTFを掲載していたけれど、知らない人が見たときに、幾何光学的MTFを掲載しているメーカーに性能で負けていると思われるから両方載せておこう」
という判断に至ったのだろうと思います。
ここで幾何光学的MTFに切り替えるのではなく、併記することにしたというのも誠実さが感じられる部分だと思います。
本来であればシグマは「波動光学的MTF」のみを公開しておけばよかったのですが、見る側(要するに我々)のリテラシーが低く、正しい評価をしてくれないのでシグマはこうしたこうせざるを得なかったのでしょう。
またリコー(ペンタックス)も幾何光学的MTFと波動光学的MTFの両方が記載されているレンズがあります。ただしリコーのレンズに関してはMTF曲線図が記載されていないレンズもあります。
ライカは一般的なカメラメーカーやレンズメーカーのように基本的にMTF曲線をサイト上には掲載していないようですが、テクニカルデータをダウンロードするとそちらに載っています。
ライカがスペックより実写サンプルや写りの魅力を言葉で伝えようとするのは「うちのレンズの良さはMTFなんぞで分かるものではない、写真を見て判断しろ」という事なのでしょうか?なんとなくライカらしくて良いと思います。
どのメーカーが幾何光学的MTF表記で、どのメーカーが波動光学的MTF表記なのかを全て把握しているわけではありませんが、メーカーに確認済みのものと、MTF曲線図からの推測で「おそらくはこちらだろう」というものを分けてみました。
「確認済み」の方にカテゴライズしているメーカーはサポートに確認をとっています。
もちろん「推測」に分類しているメーカーに関しては、全く確認もしていない、ほんの数本のレンズのMTF曲線を見ての予想なのでそこ点は十分留意してください。
各メーカーの表記予想
- 幾何光学的MTF表記
- 確認済み:ソニー
- 推測:ニコン、富士フイルム、オリンパス、パナソニック、タムロン、トキナー
- 確認済み:ソニー
- 波動光学的MTF表記
- 確認済み:キヤノン
- 推測:ライカ、ツァイス
- 確認済み:キヤノン
- 幾何光学的MTFと波動光学的MTFの併記
- 確実:シグマ
- 確実:リコー(MTF曲線の記載がないレンズあり)
——————————————————————————————
追記:後日主要メーカー各社に問い合わせて確認してみました。結果はこちらの表になります。
——————————————————————————————
特に良心的なのは波動光学的MTFだけを掲載しているキヤノンや分かりやすく併記しいてるシグマでしょう。
またAPS-CセンサーとはいえXマウントレンズで45本/mmまで、Gマウントレンズで40本/mmまで表記している富士フイルムも良心的と言えます。
ぱっと見は写りが悪いレンズと思われてしまう可能性があるにも関わらず、こうした表記をしているメーカーは素晴らしいと思います。
それはともかく、こうしたユーザーの判断に直接影響を与えるような仕様に関しては、本来ならCIPAにちゃんと指導して欲しいところで、CIPAが「MTF曲線図を掲載する場合は、実写性能に近い波動光学的MTF(ユーザーに関係するのは波動光学的MTFの方なのですから)を掲載するように」と指導すれば良いのですが、そもそもCIPA自体が大した権力もない組織なので期待出来ないと思います。
何にせよレンズに関しても、メーカーによって「幾何光学的MTF」を掲載しているメーカーと「波動光学的MTF」を掲載しているメーカーがある。ということをまず覚えておいてください。
幾何光学的MTFと波動光学的MTFでMTF曲線はこんなに違う
ではこの「幾何光学的MTF」と「波動光学的MTF」で実際どのくらいMTF曲線図が変わってくるのかということなのですが、これは有難いことに、先にお話ししたようにシグマが同じレンズで両方のMTFを掲載してくれているのでそれを見てみましょう。
例えば下のMTF曲線図は、シグマの500mm F4 DG OS HSM | Sportsの「幾何光学的MTF」と「波動光学的MTF」です。
幾何光学的MTF(500mm F4 DG OS HSM | Sports)
波動光学的MTF(500mm F4 DG OS HSM | Sports)
当然2つのMTF曲線図は同じレンズのものですが、同じレンズであってもこれだけの違いが出ます。
幾何光学的MTFの方は、一部の人たちが「MTF直線」と呼んでいるような、図の上辺に10本線と30本線が張り付いている状態になっています。
対して波動光学的MTFではコントラストが1.0より下から始まって、緩やかな曲線を描いていることがわかると思います。優秀なレンズであっても、波動光学的MTFではコントラストが1.0から始まるということはありません。
しかしこれがもし異なるレンズで、「幾何光学的MTF」とか「波動光学的MTF」といったことを書いていなければ、全く同じ光学性能のレンズであったとしても、普通の人は上のMTF曲線のレンズの方が写りが良いと錯覚しますよね?
このように「幾何光学的MTFの表記のレンズ」と「波動光学的MTFの表記のレンズ」を比較しても全く意味がないわけです。
コントラストが1.0というのは普通に考えればありえないことです。レンズという物質を間に挟んでいるのに像が全く劣化せず、しかもそれが画面端まで変わらないなんておかしいでしょう?
そのため波動光学的MTFで表記しているメーカーのレンズは、大口径超望遠レンズのようなMTF曲線が高く出やすいレンズであっても、コントラスト1.0(つまり図の上辺)に張り付いたりしません。それが正常なのです。
しかしMTF曲線を見ただけでは、幾何光学的MTF曲線で表記しているメーカーの方を優れたレンズのように誤解してしまうのも仕方がないことでしょう。普通の人は年から年中カメラのことばかり考えていられるわけではないのですから。
では「同じメーカーの内であればMTF曲線は性能比較に使えるか?」というと、レンズによっては同じメーカー内ですらMTFが高めに出やすかったり低めに出やすかったりするものがありますから、それもまた微妙でおすすめはしませんが、少なくとも異なるメーカーのMTF曲線を比較するよりは遥かに有益です。
異なるメーカーのMTF曲線図を横並びで比較する人の話は聞き流そう
また一般的なカメラ系ライターやカメラ系YouTuberだと「幾何光学的MTF」と「波動光学的MTF」という存在自体を知らない人の方が割合としては多いと思います。ましてそれらがメーカーによって混在していることまで知っているのは本当に僅かでしょう。
レンズ設計をするような人はもちろん「幾何光学的MTF」や「波動光学的MTF」は知っているわけですが、各社が公式サイトなどに公開されている情報ではないので、例えば幾何光学的MTFを掲載しているメーカーでしか働いたことがないような開発者だと、「うちのメーカーが幾何光学的MTF表記だから他のメーカーも同じだろう」と思い込んでいる場合もあるかもしれません。
実際はメーカーによって違うのですが。
ましてや一般のカメラファンの多くは「MTF曲線は全社共通の規格で表記されているもの」と思っている人が多いでしょう。
幾何光学的MTFというのはそれはそれでちゃんと意味があって存在するものですし、そもそもルールが整備されていないのですから、好き勝手に表記することを咎めることもできないと思います。
フォトグラファーでも幾何光学的MTFとか波動光学的MTFを知らない人は山ほどいますし、まして混在してるなんてことは知らない人の方がはるかに多いでしょう。
ただまともなフォトグラファーなら結局は自分の目を信用するので、最終的にどのレンズを使うといったことをMTF曲線で判断したりはしません。
MTFで論じるということは画質が分からないからMTF曲線にすがるわけで、そもそも見て分からないデータに意味は無いと思います。
本当はこうした「比較の前提となる知識」が先に広まって欲しいと思うのですが、カメラマニアは新機種のリーク情報やカタログスペックのようなものばかりに目が行く傾向にあります。
また今回話したようなことを知らないカメラ系ライターやカメラ系YouTuberの方が数も多く影響力もあるでしょうから、所詮私がやっていることは、巨大な濁流にコップで綺麗な水を一杯ずつ注いで「いつか少しは綺麗な川になってくれたらいい」というような不毛なことなのでしょう。
今日もネット上では異なるメーカーのレンズを比較して「MTFを見ると○○より△△の方が良さそうだね」といった会話が飛び交っているはずですから。
しかし少なくともこの記事をご覧になった皆さんは「異なるメーカーのレンズをMTF曲線で比較をするのは危険なんだな」とお分りいただけたと思いますから、そうした比較は聞き流せば良いと思います
■では何を基準にレンズを評価すればいいのか?
レンズの良し悪しを決めるのは…
結局レンズは実写で比較するしかありません。
しかしレンズの実写評価というのはMTF曲線の見方なんかよりも遥かに難しいと思います。
写真撮影が趣味の人なら案外すんなり辿り着けるかもしれませんが、機材マニアがそこまで行くのは天竺にお経をもらいに行くより遥かに遠い道のりです。
また実写画像から評価するというのは、
- 軸上色収差が出ているとか
- コマフレアが出ているとか
- 口径食が大きいとか
そういう類の話ではないです。全く違います。
そんなものは所詮「MTF曲線を読める」というのと大差ないレベルの話ですから「写りを評価できるようになる」というのはそういう意味ではないのです。
そもそも皆さんの中の「良いレンズ」という基準はどこからきたものですか?
結構な割合の人が誰かに教えられたり、雑誌やネットで知った後天的な知識で判断しているのではないですか?
例えば若い人たちがスマホのカメラアプリで撮った写真の中には、カメラマニアからすると不自然な写りのものも多いわけですが、彼らはそれを本心から綺麗と感じているから使っているわけです。
そうした若者に対して我々は「詳しくないからこんな不自然な描写を綺麗に感じてしまうんだな」と考えてしまいがちです。しかし本当は彼らが未熟なのではなく、我々の方がカメラ業界の基準に洗脳されているのだとしたら?
そもそも「正しい写り」なんておかしいですよね?
食べ物には人によって好みがあることを多くの人が認めているのに、レンズの写りには「絶対的な基準があるに違いない」という方がむしろ不自然ではないでしょうか。
写りの好みも千差万別と考えれば、MTF曲線なんて本当にちっぽけなどうでもいい只のグラフです。
まあそこまで考えなくても良いので、そういったMTF曲線とか収差がどうこうといった話を一旦全部忘れて、まずは自分の感性だけを頼りに綺麗と感じるレンズを気にしてみた方が良いでしょう。
それも出来れば他人の作例ではなく、自分で撮った作品を鑑賞してみると良いと思います。全部のレンズを購入できるわけではないので、できる範囲で大丈夫です。
案外MTF曲線では性能が良いと言えないレンズが、自分の好みの上位に来るかもしれませんよ。
Reported by 正隆